Atsushi Okuyama「弁造 Benzo」Online Store

奥山淳志写真集「弁造 Benzo」について

写真集「弁造 Benzo」はおかげさまで限定300部すべて販売し、売り切れとなりました。

また、昨今のフィルム感材の供給不安定により、6年前の2018年の写真集制作時の品質でプリント制作を行うことが困難になりました。
つきましては本年2024年2月をもちまして写真集特典のプリント受付を終了とさせていただきます。ご理解いただけますと幸いです。

 

他者の人生にカメラを向けることで、「生きること」に近づけるのではなか。そう思っていた25歳の僕が出会ったのが北海道で自給自足をしながら絵を描いていた井上弁造さんでした。当時の僕はこの思いを弁造さんに託すような思いで撮影を始めました。1999年から今年まで約20年に渡って弁造さんを撮り続けたのが本作となります。
ただ、20年間追いかけたと言っても、弁造さんは2012年の4月に亡くなっています。今日に至るまでの5年間は、弁造さんは存在しませんが、それでも写真を撮ることをやめることはありませんでした。目の前に存在していた弁造さんを撮るのと同様に、弁造さんが存在しない世界にカメラを向け考えることもまた、弁造さんという他者の「生きること」を理解するために必要な過程だったと今は感じています。

そして、今、僕の胸にあるのは、弁造さんが教えてくれた「生きること」についてです。それは言い換えれば「人生」の質感と呼んでもよいことだと思っています。ざらざらしていたり、少し尖っていたり、柔らかかかったりと、物質にはいくつもの質感が存在しますが、それはその物質の個性であって、優劣ではありません。弁造さんの人生を眺めた時、僕の目に映るのは、弁造さんという人生の質感なのです。と同時に、遠い誰かの人生であれ、「生きること」が持っている「質感」への肯定こそが、他者を理解する手がかりのようにも感じます。

弁造さんは92歳で亡くなるまで自由に生きましたが、絵描きになる夢は果たせませんでしたし、家族や子供を持つことも叶いませんでした。その晩年は孤独だったと呼んでもいいかと思います。でも、それらすべてをひっくるめて、弁造さんという人生の質感だと思うのです。そして、僕はその手触りを「他者」と「自分」を結ぶ大切な記憶として一生留め続けるでしょう。

弁造さんが遺してくれた「生きること」を通じて、この本を手にとっていただいた方々の胸の奥に何かが生まれることを心から願ってやみません。

 

2018年1月1日

奥山淳志